鮎の塩焼き

ご飯/映画/野球/日々のできごとを徒然なるままに

単独行動

私は単独行動が好きです。

何かをしながら自分の周りのあらゆることに思いを馳せ、「嬉しい」「楽しい」「悲しい」それらを自分の中で昇華させ、また次の行動の原動力とする、それが自分の生き方でした。

 

「周りに流されないこと」それが自分の強みであるとも思っていました。

友人の中で流行っていることがあっても、私は一歩引いた、自分なりの「第三者的目線」でそれを眺め、本当に自分にとってそれがプラスになるのかどうかを見極めた上でそのモノ、コトに興味を示す。それがかっこいいことだと、思っていました。

 

今でもその、「第三者的目線」は必要であるとは思います。身の回りで起こっていること全てに興味を示し、あっちやこっちや流されていては、自分を失います(何より疲れます)。

 

ただ最近、他人との関わりの中から自分の考えを見直し、考え直し、磨きをかけ、確立していく、普通の人にとっては普段から自然の流れでやっていることかもしれないけれど、私としてはとても新鮮なフローを学びました。

 

きっかけは、友人と映画を観に行ったことです。観賞している間は映画館なので当然、一人の時と同じで特に会話をすることもなく、自分の中でいろんなことを思いあぐねています。

しかし、観終わった後はいつもと違いました。

 

「あそこのシーンすごく印象的だったね」から始まり、互いに感想の交換をします。

「あの中盤のシーンはもっとストーリーに抑揚をつけるためにこうするべきだ」

「あのシーンの悪役はもっと感情のままに暴れても良いと思った」

監督をはじめ製作陣に申し訳ないのですが、ちっぽけな自分たちなりに感じた、いっしょうけんめいに考えた持論を展開します。

 

この互いの思いや考えを打ち明け、自分以外の考え方を知ること、それが非常に刺激的で、想像以上に楽しいものでした。

 

そして何より、自分たちが「ちっぽけ」であることに気付けました。

 

一人で思いを馳せると、それは無限大です。

必然的に自分が世界の中心になっていて、またどんなに無限大であってもその軸は「自分」です。

自分の中で自分の立ち位置を定めています。

 

しかし他人とのそうした会話の中で、相手の目に触れ、もまれ、また戻ってきたその「考え」は、少なくとも自分だけではない存在の中で多角的に見られているので、社会的な立ち位置も付加されているように感じます。

 

自分で客観的に考えることと、他人に客観的に考えてもらうことでは、その物事の奥深さが変わってくるのだなと思いました。

 

この拙くただ長いだけの文章で、私は何が言いたかったのかと言うと、

「独りよがりにならず、他人との意見、思考の接触を積極的に行うって大事だなあ」ってことです。

 

やっぱり単独行動は好きです。自分の中であれこれ考えて一つの結論を出すの、大好きです。

ただその考えをもっともっと味のあるものにするため、いろんな人と関わって、様々な見方、考えを吸収していきたいと、思っています。